@article{oai:kitakyu.repo.nii.ac.jp:00000153, author = {山本, 進}, issue = {121}, journal = {北九州市立大学外国語学部紀要, Bulletin, Faculty of Foreign Studies, the University of Kitakyushu}, month = {Jan}, note = {40016055071, 清初より民国9年に至るまで、中国本土と内外モンゴルとの交易は持続的に発達した。ロシア革命と外モンゴルの独立により庫倫方面の市場は喪失したものの、東部内モンゴルでは磚茶や棉布を移入し、牲畜や羊毛などの畜産品を移出する草地買売が継続した。これを末端で担ったのが撥子である。奥地での撥子交易は基本的に物々交換であり、銀貨は貴金属商品として内地から一方的に移入されるに止まり、貨幣としての役割を果たすことができなかった。集荷地では銅銭を基礎とした吊文や奉天票・熱河票などの紙幣も使用されたが、貨幣による売買は少なく、撥子と雑貨商や桟店との間の債権・債務を定期的に相殺する標期決済が主流を占めていた。また、雑貨商が商品を移入する時、あるいは桟店が畜産品を移出する時に振り出す為替も、銭舗が票期を定めて定期的に決済していた。}, pages = {1--23}, title = {清末民国期の東部内蒙古における金融構造}, year = {2008} }